動く
本腰を入れる。という表現を自分はよく使う。入試の時と同じ心持だ。嗚呼、変わっていない。
結局は自分の人生は自分のものだから、自分で動かない事には何も始まらない。
それを十分に分かった上で、悲しい気持ちになる。なぜこうも要領が悪い人間で色々と漠然としているのだろう。
漠然とした目標を追っている。具体的にこうとか、ああとかそういうのがどうも許されないのだ。国を飛び出す理由が卒論とやらに関わらないといけない。難儀なものだ。よろしくない。
人生に関わっている。国を飛び出すことで視野が変わり、立場が変わり、環境が変わり、苦しいことになるかもしれない。けど、それを越えた先には、”乗り越えた、成し得た”という結果は必ず残る。自分にはこれが必要だ。これが理由ではダメなのか?
「金に多少無理をしてでもできるならした方がいい、やらない後悔よりやる後悔」
と恩師は次々に話す。その通りだと思う。親よ 金銭で迷惑ばかりかける不孝者で許しておくれ。こんな出来損ないでも、出来た人間になりたいのだ。
動くとなればもはやルーティーンになっていることをする。整理整頓だ。書類を片づけてファイルに入れて、引き出しの中身を吟味する。教科書棚に入れておく本もできる限り減らしてゆく。
夜も深まった1:34。この作業に納得いくまでは眠りにつかない。これができないと何もできないのが目に見えているからスイッチが折角入ったところを消すわけにはいかない。