「あれ、なんだっけ」

一介の人の妄言と出来事

感動屋

 久しく文字を綴っていない。今晩は夕寝をしたから目が少し冴えている。

 最近己の出来損ないさに心がそこそこに折れていて、ふと気を抜くと涙が出そうになる。

 人と話していないと、心にぽっかりと穴があることを気づかされ痛さが襲い掛かる。その時もそうだった。話していない。そして、好きだった相手が、幸せな状態であることを勘付いたし、実際それは的中した。

 どうでもいいやつだともう割り切ったつもりなのに、ムカっとしたし、悔しかったし悲しかった。それは自分に対しても相手に対してもだ。

 

 昔から、傷つくたびに立ち上がろうと頑張る時には、"あいつらより幸せになる"と思って頑張ってきた。幸せになるなんて何を以て幸せになるかだなんてものは今も昔も分かっていない。だけども、幸せになるという抽象的なものを抱くことで、そのために目の前のことを片づけようと動きを止めない潤滑油になってくれる。抽象的で物事いいときもある。

 

 

 話を少し戻す。心が折れたその時、やはり人に助けをすぐ求めた。彼女と会えることになって、晩ご飯まで一緒に食べることになった。

 いざ会って話そうとすると上手く言語として出てこないのは不思議なもので。言語化できないまま、話せる他のことを話していたらその心の風は止んでいるから言語化できないのもいいことなのではと思う(きっとすべて言語化できたら、風は止まないだろうから)

 入ってみたかった晩ご飯のお店は、予想した通り居心地がいいお店だった。ご飯を待ちながら色々話していた。

「感動屋なところとか言い回しや考えが好きだよ。それは私にとって尊敬するものに値する」

と言われた。尊敬。はじめて言われたような気がする。人に尊敬の念を抱いたことはたくさんあったし伝えてきたけど、抱かれたことなんてないと思っているし、そう伝えてきた人は誰もいなかっただろう。頭の中の時が止まった。まるで自分のことを言われている気がしない。嬉しい。言われた時の風景は頭の中に鮮明に残っている。

 感動屋。いい意味でも悪い意味でもきっとそれは働くとも言っていた。涙脆いと自分では形容し、人からは感受性豊かだと言われていた中でその言葉は心にすっと溶け込んだ。素敵な言い回しだ。

 

 さて時刻は1:41。今宵はこの辺で。