「あれ、なんだっけ」

一介の人の妄言と出来事

魔法使いの君は、

 俺の名前を呼ぶ。滅多にないその行為はまるで一種のマジナイのようだ。

 名前を呼ぶというマジナイには背中をぽんと押したり、包むような効力があると思う。君はそのことを知っている。上手にソレを使ってみせる。

 君が「最初に覚えた呪い」ってやつはきっとコレに違いない。形無しなのは一体誰なんだか。

一端 ビデオ通話

「あなたは幸せになれよ!」

「これでフラれたらどうしようね?」

「フラれたら私が押し掛けるよ。」

「じゃあきっとそんな話をしているときは向こうの家にいるだろうから住所を前もってLINEで送っておくわ。んで、ダメだった時にあ、とか呟いたらドアをどんどん叩いて呼び出しでしょ。」

「『ちょっと開けてくれますかあ?』ってね。ああ、ボタンがあればいいね。押したら床が開いてうぃーんって私が出てくるの。小林幸子みたいに。それで『この根性なし!金輪際うちの〇〇には指一本触れさせはしないんですからね!』って言い放って説教垂れるの。んで二人乗りして帰ってく。」

「んで、男友達も出てくるんだ。」

「そうそうボタン、うちらが別れた後にやってきて一言言うんだよね。」

「うぅ~ん、最高。」

 

 性が悪いと2人でくくくと笑って、あんなやつ知らんと手をぶんぶん振る。まぁ、生きていりゃいいねだなんて黒い冗談を言い合うことに友情とやらを感じる。悪戯を仕掛けて罠にはまるのを見ているかのような楽しさがこの人と話していると常にある。

夢を殺める

コロナのせいで、渋々承諾してくれた親が渡航を辞めろと言った。
「後期に行くのだからまだ望みはあるでしょう、学校から留学辞退の連絡が来たら流石に大人しく従うけれど。」
そう言って親からの反対を一蹴して、何とか希望を、留学をする可能性を考えながら気持ちを作っていた矢先だった。

警戒レベルが下がって行けるようになれば、通常通り渡航して現地で生活する手続きを踏んで授業を受けるか、はたまた、下がらない場合は開講されていれば日本にいながら先方のオンライン授業を受講するか、

それとも、留学を辞退するか。

そういうメールが来た。
無論心の片隅には、ずっとそのことも考えてきていたから遂に来てしまったのかと最初はダメージはあまり来なかった。けれども今になって来ている。留学に行くから、頑張ってくるから。立派だ、見送りに行くよ。そうやって色んな人に話してきた。応援されてきた。

まだ行ける可能性も残されてるのに、まだ渡航まで半年残されてるのに、辞退しますと言ったことがどれだけ苦しいことか。

親との取り決めだったとはいえ、この辞退を進めるのは自分だ。まだ辞退しなくてもいいんじゃないか、好転するんじゃないか。そういう葛藤の末だった。

「父さん、留学辞退の案が届きました。」
「断腸の思いですが留学を辞退することにしました。」
親に伝えるのに、教授たちにこのメールを打つのに、どれほど悩んだか。これは、共有できない程の苦しさだ。分かってたまるか。辛いねとそっと慰められるだけでいい。分かるよだなんて言葉は要らない。

学校に留学辞退届を郵送した翌日、留学先の大学から入学許可が下りたメールが届いた。
本当は行けたはずの留学を自分で殺めた。

嗚呼。それでも明日は来る。

描く

ぼくは、高校生になって1年間美術部にいた。周りの人たちはそれはもう絵を描くのが好きで、センスのかたまりで自分の世界を持っている人たちだった。顧問は全国にも行き、生徒も数多くが賞を取っていた。
入部してすぐに分かった。周りと比べていかに技量がないか、経験が足りないか。絵は息抜き程度にたまに描いていたぐらいだったから。
けれど部員であり仲間であった同級生たちはとても優しくて明るい人たちだったから、頑張ろうと思えた。
活動時間の終わりになると仲間たちと肩を揃えて石鹸に筆を押し付け洗う。そこで話した時間は今でもいい思い出だ。

作品を描き起こす日々が続く。

――ぼくはこんなにも世界がない。

作業の終わりに周りを見て愕然とする。焦燥。
どうして、と何度も泣いた。部員が顧問と仲睦まじくお菓子をつまんでいるのが何だか苦しくて泣いたこともあった。

どうにもならない。終わりが見えない。〆切は刻々と。ずば抜けた仲間たちは作品ごとに号数を上げる。嗚呼、世界が広い。
「密度がない。」「ディティールをもっと詰めろ。」「その色は違う。」「作業に入れ」「ぼちぼち終わり」段々と言われることが怖くなった。最大音量にしてイヤホンをつけてできるかぎりその指摘から逃げた。もう嫌だ。もう――――。


秋。僕は最初で最後の部員としての展覧会を終えて、辞めた。
その頃には絵を描くこと自体が怖くなった。何のために描くのか分からなくなった。
何を描きたいのか、そういったものが完全に無くなった。欠片であった自信も何もかも。

***

大学に入って、講義の前に座っている人が印象深いとスケッチすることがたびたびあった。スケッチは見たままを写せばいい。色もつけなくていい。
「すごい、上手い……」とプリントの端にシャーペンで描いたそれを目を輝かせて見つめた友人ができ、「絵とても好きだからもっと描いて見せて」と誕生日にスケッチブックをくれた。

内にある世界を描き起こせなくても目に映った風景を描くこと。それだけで十分だったんだ。

湯船

元栓を上げて、ボタンを押す。少しすると温いお湯。
お湯の温かさで己の冷たさを知ってぶるりと震える。これほど自分の身体は冷えきっていたのか。
湯船に浸かる。この包まれている感覚がたまらない。しばらく浸かっていると湯船と一体化して自分が液体になってまざりあえるのではないかという感覚を抱く。
このままゆらゆらと湯船の波に揺れて、ガムシロップのような陽炎になって沈みこんでいきたい。柚子の匂い。縁だけが緑に見える湯船、オレンジ色の電気。

「時間」⇔「日」

 親のいない間に帰ってくることを気にしないで長電話したいという小さな願いが叶いました。平日の電話。10:00になっても返信が来なかったら寝ているってことだから鬼電してという風に話していたけれど、59分に既読が付いたのを確認してえーいかけてまえと丁度になってボタンを押しました。

 お昼は2時間半、夜は1時間半ぐらいで5時間の通話。1日の1/4話していたらしい。

 

「時間」じゃなくて「日」で換算するとめっちゃ一緒にいたように感じるマジックとかどうですか???

 

 と言われたのが目から鱗だったから、好きな人と過ごした時はこれから「日」単位に積極的に変えていきたい。

(あ、でも時間数が大きい時はそのままの方が一緒にいたように感じるのはあるかも、1日過ごしたより24時間過ごしたって言うとより一緒にいたように思える)

 

 これが収まったら、2人で電車に乗って公園に行ってキャッチボールをする。楽しみが1つできたぞ。

凡庸

僕には一体何がある。もがいて悔しくて何もできずにただただ部屋の隅にある窓を見て泣いたあの時を思い出した。
周りには凄い人しか存在せずに話せば話すほど己の凡庸さを痛感させられた。
なんでこの人たちは自分を好いてくれるのだろう、足掻くことしかできないこの僕を。今もまた、そんな僕でいる。