「あれ、なんだっけ」

一介の人の妄言と出来事

描く

ぼくは、高校生になって1年間美術部にいた。周りの人たちはそれはもう絵を描くのが好きで、センスのかたまりで自分の世界を持っている人たちだった。顧問は全国にも行き、生徒も数多くが賞を取っていた。
入部してすぐに分かった。周りと比べていかに技量がないか、経験が足りないか。絵は息抜き程度にたまに描いていたぐらいだったから。
けれど部員であり仲間であった同級生たちはとても優しくて明るい人たちだったから、頑張ろうと思えた。
活動時間の終わりになると仲間たちと肩を揃えて石鹸に筆を押し付け洗う。そこで話した時間は今でもいい思い出だ。

作品を描き起こす日々が続く。

――ぼくはこんなにも世界がない。

作業の終わりに周りを見て愕然とする。焦燥。
どうして、と何度も泣いた。部員が顧問と仲睦まじくお菓子をつまんでいるのが何だか苦しくて泣いたこともあった。

どうにもならない。終わりが見えない。〆切は刻々と。ずば抜けた仲間たちは作品ごとに号数を上げる。嗚呼、世界が広い。
「密度がない。」「ディティールをもっと詰めろ。」「その色は違う。」「作業に入れ」「ぼちぼち終わり」段々と言われることが怖くなった。最大音量にしてイヤホンをつけてできるかぎりその指摘から逃げた。もう嫌だ。もう――――。


秋。僕は最初で最後の部員としての展覧会を終えて、辞めた。
その頃には絵を描くこと自体が怖くなった。何のために描くのか分からなくなった。
何を描きたいのか、そういったものが完全に無くなった。欠片であった自信も何もかも。

***

大学に入って、講義の前に座っている人が印象深いとスケッチすることがたびたびあった。スケッチは見たままを写せばいい。色もつけなくていい。
「すごい、上手い……」とプリントの端にシャーペンで描いたそれを目を輝かせて見つめた友人ができ、「絵とても好きだからもっと描いて見せて」と誕生日にスケッチブックをくれた。

内にある世界を描き起こせなくても目に映った風景を描くこと。それだけで十分だったんだ。