「あれ、なんだっけ」

一介の人の妄言と出来事

カウンセラーなど当てにならない件

 これは、高大とカウンセリングにお世話になった自分のあくまで個人的見解だ。 

 中学校はまだましだったかもしれない。ステップスクール(のような名前)という制度が存在していて、俗に言う「保健室登校」というものが許されていた。一番仲がいい先輩もそこに通っていて、しばしばそこに赴き、先輩をと話すために探していたものだ。居場所がなく、修学旅行中に自傷行為未遂に走り、過呼吸に陥り、目撃した友人を不登校にさせたという件で担任と話した時、どういう気持ちかだなんて守秘義務というものは全くなかった。話したことは全て向こうの親にばらされたらしい。

 高校では、仲が良かったと思っていた友人が自分のせいで不登校になったということで、担任にどういう意図で話したかきちんと説明した。自分が褒めて言ったつもりの言葉で不登校にさせてしまった、これは今でもトラウマである。しばらく経って登校をまたはじめてくれ、今度はそういった誤解を招くことは何も言いまいと思った矢先、再び不登校。しばらく経って「転校した」と担任に告げられた。誕生日だった。そこでも泣いたけど、家で声が枯れて、頭痛を起こし、目が開かなくなるまで泣き続けた。翌日は熱を出して学校に行けなかった。腫れが引き、学校に行ったらカウンセリングを受けなさいと授業中にカウンセラーに行った。そこで話したことは全て担任に知られていた。「秘密にするから」と言われていたのに。

 大学では、学生相談室なるものが存在し、母に叩かれ、泣き叫ぶ自分自身の泣き声を思い出してフラッシュバックをニュースや周りの状況に過敏に反応し頻繁に起こしていたため1年の時に相談をした。結論から言うと、「あなたは学校に来れているから大丈夫。学校に来れないほどひどい人はいるのよ。」と言われたとき、もうここで二度と相談するものかと固く誓った。

 そんな自分が何に救われてきたか?友人である。

 友人は自分のバックグランドを明確に知っている上に、その状態に晒されている時を目にしている。そういった人たちの言葉や聞く姿勢というものはカウンセラーを頼らずともカウンセリングになっているのだ。

 もし、友人以外の他人に悩みを打ち明けるなら診断書を書いてくれる精神科医か、その状態を抜け出すための術を知っている有識者に相談するのが一番だと思う。カウンセラーは二度と信用するものか。守秘義務はないし、形骸化された寄り添いだけがそこにはあるのだから。