「あれ、なんだっけ」

一介の人の妄言と出来事

職人おじさん

 友人と牡蠣小屋へ行った時の話。

 入った時に迎えてくれた店員の一人は、もう還暦前だろうか?板前をやっているような貫禄があり、接客業のイメージであるさわやかな笑顔や声色、そういうのは一切なかった。少し怖ささえあった。

 

 食べ進めている間、食べ終わった食器をすぐに下げる姿。そこにも言葉はほぼなかったが、会話の邪魔にならないようにしていることがなんとなしに分かった。

 

 そんな店員さんが声をかけてくれたのは牡蠣のこと。

「あまり熱し過ぎると、殻が爆ぜるからもう避けておくように」

「生牡蠣は、早いうちに食べてしまうのがいいですよ」

「貸してください。殻、剥きますよ」

 

 その言葉らには気遣い、牡蠣を美味しく食べてほしい気持ちがこもっていて、帰り際には、自分も友人もその人のことが好きになっていた。

 ああいうプロフェッショナルさにも憧れる。

内定が出た話

 正確的に言うと内々定と呼ぶ。

 

 どうしても自分の経験を結び付けた就職活動を続けたかった。

 

 昔から英語は勉強できる環境にあり、大学1校目では、西洋史学が主専攻で、高校から独語もやっていたこともあり(独検2級、CEFRで言うと一応B1相当)、文具メーカーに入りたいと頑張っていました。文具といったらドイツで、海外と交流をしているような企業であれば、キャリアステップでドイツや欧米諸国に関われるチャンスがあるかもと考えていました。

 パソコンやスマートフォンで活字を打ち、気軽に誰かに文を送れるようになったからこそ、手書きという行為が人の気持ちにより届きやすく、文具が生活、ひいては「気持ちに寄り添ってくれるもの」であると感じていたため、アナログの良さというのに惹かれ、文具のメーカーに業界の軸を全ツッパし行っていましたが、粉砕玉砕でした。

 新卒でメーカー希望となると大手しかないのです。穴場という概念はありませんでした。工場や百均に卸す雑貨のメーカーなどに目を向けてもいたのですが、新しいものばかりを生み、ロングセラーを生み出そうとしない企業もあって、違うな…と思い説明会止まりでした。「長く使える物を生み出す、長く使えるようにする」、「どんな人にも寄り添った」ことに携わりたいのだなと思いました。

 ちなみにそこから、文具売り場はアレルギーになりました。この会社のものだと分かっているため、そこを受けた記憶がフラッシュバックをし、商品の良さに目を向けることができなかったのです。気の休まる場所だったところでしたが、今でも、文具売り場は当時ほどではないですが、入るたびに苦しい思いをします。

 

 そして2校目では、司書資格を取るべく勉学に励んでいました。そして気づかされるのです。正規職の少なさを。

 自治体の人件費削減、業務の効率化、民間ノウハウを活かそうという思いから生まれた、指定管理者制度というものが確立しており、日頃通っている図書館員のみなさんは非正規雇用であることを知りました。契約社員ということです。

 正規雇用として働くには公務員試験*1を受け、都庁・県庁の司書職として採用されることが一般的です。

 公務員試験の教養試験というのは幅広い分野から構成されています。自分は小さい頃から数学が壊滅的に苦手で、高校でも外国語に特化した場所に進んだため、普通科の卒業生よりも前提知識がないのです。ですから、民間で内定をもらってから公務員試験を受けるか、内定をもらったら公務員試験はすっぱり諦めるかと、どちらにせよまずは、民間の内定を是が非でも取らなければと動いていました。

 民間で図書館に携われる業種として挙げられるのが建設やSEです。建設は言わずもがな図書館自体を、SEは館内外問わずOPACというオンライン蔵書データベースを作っている方々です。コロナ禍でOPACやHPの重要性を感じていたことや、ピンポイントで公益性の高い場所に貢献したいという考えから文教部門、自治体部門が独立して存在するSEの企業も受けましたが落ちました。

 

 どうして図書館で働きたいのか再考すると、

・昔から本に人生を救われてきたから

・第3の場所としての役割

・貧富・年齢の差関係なしに使える

という柱があり、第3の場所、いわば「逃げ場所」としての役割を図書館が担っていることに気付いたとき、豆電球がぴこんと光ったような感覚を覚えました。

 

 そこから福祉という業界に興味を抱き、就労支援や生活訓練の支援員の説明会を受けていて、ある時にケースワーカーとして内定をいただきました。

 そこを受けようと思ったきっかけは、自分が学生時代、多くの先生方に支えられてきて、自我を保ってきた、道を進もうと踏み出す一歩をくれた経験からです。優しくされたことがある人は優しくできる。苦しい思いをしたことがあるからこそ、痛みに寄り添える。ロマンチックすぎるかもしれませんが、そうありたいなと思います。

 

 2019年の秋から就職活動をしていたので、大体3年と少しかかりました。トータルで30社ほどです。公務員の試験勉強ではなく、今は他の資格の勉強にモチベーションが向いているのでそちらをのらりくらりと頑張りたいと思います。

 

*1:地域によって、大卒区分か短大卒区分か分かれます

変化

久しぶりに会って話を、相談をしたら、変わっていた。

いや、自分が(自分も)変わったのだろうか。

寄り添ってくれるのがとても上手で、内心を小説のような言い回しで話せる、言葉をよく噛みしめて使うことができる人だった。

自分がその人と出会った時よりも、悲観的になったからだろうか。

その人が社会にもまれたからなのか。恋がそうさせたのか。

 

もう少し自分から明るく自信満々にいればいいじゃん

働けばいいんだよ

 

そう言葉のナイフを深く深く突き刺され、

 

随分辛辣なこと言うようになったでしょう

と、細く笑みを浮かべて告げた言葉で、抉られた。

 

哀しく、辛くなってしまった。

吐露できる関係性にはもう戻れないかもしれないと、

どこかで悟ってしまったことに。

 

ふと、流れてきたYouTubeのショートが、目に留まった。

 

強くなることはないです
弱い自分に苦しむことが大事なことなんです
人間は元々弱い生き物なんです
それなのに、心の苦しみから逃れようとして強くなろうとする
強くなるということは鈍くなるということなんです
痛みに鈍感になるということなんです
自分の痛みに鈍感になると、人の痛みにも鈍感になる
自分が強いと錯覚した人間は他人を攻撃する
痛みに鈍感になり優しさを失う
いいんですよ、弱いまんまで
自分の弱さと向き合い、それを大事になさい
人間は弱いままでいいんですよ、いつまでも…
弱い者が手を取り合い、生きていく社会こそが素晴らしい

 

聖者の行進 8話 演者:いかりや長介

 

嗚呼、痛みに鈍くなってしまったのだな、と。

自分のことを悲劇の主人公のように言い、相手を悪く扱うのは、周りから甘えていると言われそうだけれどもそう思ってしまった。

ごめんよ、友人。みっともないよな。

こんな奴のことなど、忘却の波に棄ててくれ。

 

確かに今の状況はとても苦しいけれど、

自分の弱さに向き合うことは辛いけど、

それが真の優しさへと昇華すると信じたい。

毒親から逃げたい

 特にコロナ禍になってから、ずっと料理は自分が作っている。ご飯作るのしんどいともらしてもご飯だけ炊いてくれればいいと言われたり、ゆっくりでいいと言われることが多い。そういうことではない。無論買い出しもそうだ。残念ながら同居人にバランスの良い買い出しを頼むと酒、肉、卵、牛乳しか買えない。野菜という概念はないらしいので任せられない。ここ1年ほどは洗濯物は各自で行っている。

 大学生から学費を自分で払っているので借金が400万ほどある。ここまで育てたのは誰だと言われたこともあるし、親になった大人に相談をしてみれば「孝行しなきゃ」「一緒に住んであげなよ」と言われる。衣食住を支えてくれているからそりゃそうだけれども、それを支えてくれるのは親としての最低限の務めであると思うのは自分がまだ子供だからなのでしょうか。

 

 就職活動がトラウマで、だけど就職しなきゃ家を出れないのでやってはいるが、内定をもらえる見込みは当分立っていない。心療内科に通って半年ほど経過しているけど、生活リズムを整えようぐらいしか治療方針を言われず、病名を告知してほしいと遠回しに言っても回答を得ず(今度はもう直接聞く)、就職活動の結果に気にせずいこうと言われる。行っている理由が最近分からない。当てはまらないのなら、病気でないのなら、自分はただ甘えているだけのようで。

 

 同居人には通院していることを告げたら薬に頼って、お前はそんなに病気として見てもらいたいかと昔病院に行きたいと告げたときに言われた同じセリフを言うだけだろうから、何も言うつもりはない。俺に相談して何になるんだよと言った言葉、忘れていないからね。

 過去言われたことをそのまま怒っている時にそのまま使うと、目上のものに「舐めてる」というなと返された。じゃあ目下ならいいの?子供のこと目下だって思っているんだね。

 成人になってしばらく経つ今でもどこで誰と何時から何時まで遊ぶのか、一人で出かけようとしても、どこに何をしに行くのか毎回毎回聞いてくる。危ないから一緒に行くからでかけるのをやめたほうがいいとも。それを真似して、出かけるときに自分も執拗に聞いてあげる。

 まあ結局聞いても言葉を濁して出かけるんですけどね、この人は。自分としては別に唐突に出かけられようが、帰宅が11時過ぎようとどうだっていいのだけど、親だから言葉を濁していいというのは、納得がいきません。

 

言うぐらいなのだから、言われる覚悟もしないといけないと思います。

 

家を出たいのです。真綿で首を締められているようなこの家から、早く逃げてしまいたいのです。誰か、どうか、助けてください。

通院1ヶ月

 心療内科に通っています。最初に担当してもらってた主治医は、薬の効果だけしか聞いてこないので嫌だなと思っていたら別の先生にあたった。ただ薬を出してほしいわけではない。状態を見極めたうえでの処方を、治療を望んでいるのだ。そうしたら、カウンセリングのようなこともしてくれたので、先生の方向性に自分が合わなかったのかもしれないと思った。今の自分は中程度の抗うつ状態らしいが、病名告知はない。

 自分がどんな状態なのか、名詞で宣告、所属を言われる方が心は落ち着くのだが、最初の先生には「うつ病と呼ばれる人は脳の炎症が起きているようなもので、あなたはそうではない」と言われたことが刺さった。じゃあ今のこの気持ちは自分の甘え、弱さからなってしまっているだけではないかという気持ちだ。

 2回目からもらっている睡眠薬はとても綺麗に入眠できる。だがしかし強いストレスがあると(翌日アルバイトだったり)眠れなくなってしまうのは野生の本能みたいのが働いているのか何なのか。次はカウンセリングを受けてみる。自由診療扱いなので医療費の負担がさらに増すから、行けたとして3, 4か月に1回だろう。同居人にバレないようにするためには2人合わせて10万以内に収めなくてはならないのだが、果たしてどうなるのか不安である。

明々後日に教習所合宿を辞める人の話。 ――ここが地獄か

大変お久しぶりです。相変わらずうつ状態は続いていますが、来たる再就活に備えて免許を取ろうと思いました。

 

さまざまなバックグラウンドを抱えた人たちがいますね。

ストレートに就活を終わらせて、資格が必要な大学生、

海外歴の方が長く、留学が休みに入ったから来た大学生、

伴侶が突然亡くなり、代わりに車に乗ってあげなきゃと一念発起した社長、

学校のことで親と縁を切り、親族の家に住んでいるフリーター、

 

 自分は、そんな人たちが集まっている教習所に合宿でいます。

 運転がへたくそ+極度のあがり症で、今日2回目の修了検定を落ちた。ちなみにみきわめを貰えたのも通常より4回後だった。

 なおかつ1回目の修了検定の際、暴言を吐く検定員(教官)に当たり、完全に「修了検定」そのものがトラウマになってしまった。

 最大の原因はS字での脱輪。今日の検定でS字を通っている時に気付いた。フットレストに置いている己の左足がひどく震えていることに。

 ワンポイントアドバイスが、「もう少しだけハンドル回していれば落ちなかったね」ぐらいだったので、うわ、なんてバカなんだと。ここさえ落ちなかったらやはり通っていたのに。前回は、ワンポイントアドバイスがファイブポインツアドバイスになってたぐらいだったので改善はしているはず。補講がその直後に入って、S字ばかりを何セットもやったけど、ノーミスだったので緊張しすぎていることが何よりも足かせになっているなって思いました。

 けど、月曜日が心の限界のリミット。これ以上はいたくないので、そのときは支払った24万そのままくれてやります。仮免取れなくてもやめてやります。それぐらいここの教習所はひどいです。

相変わらず

 内定がありません。就職活動の情報を集め始めたのは一昨年、インターンを申し込んだのが去年、本格的に就職活動を始めたのが今年の二月。精神状態は、書く気力もなくしたので三か月ぶりの執筆。

 

 そこからはや8ヶ月が経とうとしてしまっている。周りはみんなもう内定をもらっている。1人の友人は、就職活動を諦めた。精神的に参ってしまって春には実質躁鬱状態になっていた。鬱のときには一日中寝ていて食べるために体を起こすような生活を送っていたことも知っている。

「家族の優しい言葉はありがたいのに家に縛られている感覚を抱いている」

と零した彼女は、農業の手伝いをしているわけだが、いずれは自営業をできたらいいなと古物商免許取得を夢見ている。

 また別の知人は、初夏に就職活動を「自分のやりたいこと」をするためにやめたと聞いた。聞いた友人によると恐らくライターになりたいのだろうと話していた。

 私はまだそこまで踏ん切りがついていない。まだ、正社員にならなければと思う。それは私の自立のため、借金完済のため。

 

 母が定職についていなかったのもコンプレックスとしてあるから、ここまで正社員にこだわっているのだと思う。水仕事を相当な年数やり、パートで働き14万円ほどの給与を貰った日に全てパチンコ・酒・たばこに溶かし、常に金をくれと話していた。私はそんな母のようになりたくない。その気持ちが就職活動を惰性でやり続けている原因の一つなんだろう。

 

 「普通に幸せになりたい」